2013年11月14日木曜日

蝶と何者か



それは天使の翼などではなく


数え切れないほどの
人間の腕だった





奇妙な形をしたその"モノ"は
おどろおどろしい化け物のようでいて
けれどとても美しかった




「私は目も見えず
口もきけない




ただこの身の腹の中には
幾万もの私の分身が
今にもこぼれそうに
うごめいている」







「どうか貴方様」




「私の腹を切り裂いて
この子達を
自由にさせてはくれませんか」








2013年11月13日水曜日

自己分析の末路


人の言葉の裏の裏を探る癖、直さなければいけないな。
優しさを丸ごと信じるのが少しだけ難しい。

今の時代を生きるにはそれくらいがいいのかもしれないけど、誰かを傷つけるのは違うかなと思うので。



とかく自分の価値観と違うものに触れると、簡単には処理できず、まず疑ってかかってしまう。

私の為に気遣ってくれるなんて申し訳ない、
というのが、もしかしたら根本的に違うのかもしれない。

なんというか、末っ子脳内、みたいな???



私に気を遣う時と私を気にしない時ではきっと後者の方が相手にとって気が楽だろうから、
それならその方が良いだろう
という考えが常にある

極端に言うと
他人の悩みの種になるくらいなら種ごと消えてなくなりましょう
くらいの。
そこまでは思わない…けど…たぶん


気遣いをされると、気遣ってしまう。

優しくしてくれた人は私が自然体でいられることを望んでそうしてくれているのに、その私が自然体でいられなかったら、優しくしてくれた人の優しさが無駄になるし申し訳ない。
だから、私が申し訳ないと思うこと自体も、彼(または彼女)の優しさを無下にしてしまっていて、、

でも自分を解放して相手の優しさに委ねるのは、少し怖い。
自分が何かの負担になることが怖い。


素直にありがとう、嬉しい、と思うだけでいいのかな?
大切な人ほど、私も大切な人を幸せにしたいし、恩返しがしたい!!という気持ちが強くなって、素直に喜べない感じがする

ただただ好意を受け取る、ということが、恩返しにもなり得るのにね〜



なんだかここまでダーっと書いて、小さい頃から変わってないじゃんっと気づく。
素直に喜ぶのが苦手な子だった気がする。

そんな思い出がちらほら、、、(笑)



とにかく、自分の臆病のせいで
人の優しさを無下にしてはならないね。

必要以上に自分を卑下することは
私を思ってくれる人の優しさを無下にすることと同意だと、
気付いてはいたけどなかなか飲み込めずにいた。

けれど、私は自分の事を少しでも考えてくれる人の為に自分を嫌いではいけないし、もう少し自由にならなければ、と思う。


自分のことが大好きだからこそ
自分を許せず、自分が嫌いだと戒めるのだとしたら

私はとてつもなく、
誰よりも、
生きることに執着しているね。





つまりこれでもかなりポジティブなんだよって言いたい

なんか文章ぐちゃぐちゃだ〜



おやすみなさい

夢のリクエストは、焼肉食べ放題